西安 観光 ツアー

華山は、五岳の一つで、険しいことで知られており、登山道は、曲がりくねり、12キロに渡って続き、至る所すべて断崖絶壁である。かつて太華山といわれていた華山は、西安の東に120キロ離れた華陰市にある海抜2200メートルの山で、中国国家急の景勝地である。華山の名所旧跡は多く、廟宇道観、亭台楼閣、雕像石刻などが至るところで見られる。その昔、太崋山と呼ばれていた崋山は海抜が2160mで、現在は中国最大級の観光地である。五岳(中国の五大名山の総称)の中でも、崋山はその「険しさ」で有名です。山登りの道は延々と曲がりくねっており、あちこちに断崖絶壁があるほど険しいので、「崋山一筋」とも言われている。崋山には名所旧跡もたくさんある。廟宇、道観(道教の寺院)、亭、楼閣、彫像、石刻などは随所に見られる。比較的有名な名所は玉泉院、真武宮、金天宮だと言われている。また、崋山から北に7 km離れている西岳廟は、はるか昔、西岳崋山の神を祀る古い廟だったとの言い伝える。
崋山のケーブルは全長1550mで、その麓から北峰の頂上までの間、なんと800 m弱の高低差を誇っておりそこからの断崖や峡谷の絶景は圧巻である。そのため、崋山は老若男女と国内外を問わず多くの方々が美しさを堪能できる観光名所であるとも言える。華山の五つの峰の中で、東峰(朝陽)、西峰(蓮花)、南峰(落雁)が比較的高い。東峰は、日の出を鑑賞するベストスポットで、西峰の東西両側はハスの花のように見え、華山で最も美しく、南峰の落雁は、華山最高峰である。特に、朝日を見るのにベストなスポットは東峰である。西峰は東西の両側がハスの花のようにみえるので、ハスの峰と名付けられた。これも崋山の一番秀麗で特異な峰だと言われる。また、最も標高が高い峰は南峰の大雁峰です。そのほかには、中峰(玉女峰)と北峰(雲台峰)も観光客に親しまれている。

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by xiantabi | 2018-04-27 11:17 | 海外旅行 | Comments(0)

陝西歴史博物館観光案内
陝西歴史博物館は西安市小寨東路と翠華路の交差点の西北にある。館の敷地面積は65000?余り、建築面積は60000?で中国最大級の、現代的な歴史博物館。線対称の構造になっている。中央に殿堂があり、四角に崇楼がある、唐の建築様式にならった造り。陝西の悠久の歴史と光り輝く文化を象徴する博物館。唐代の建築様式を取り入れた中国一の博物館であり、収蔵品が37万点、そのうち6000点が常時展示されている。原始社会から明の時代までの長い歴史を代表する貴重な文化財がここに集められ、一堂にして中国の5000年の歴史を巡ることができる。収蔵品を大まか銅器、唐代墓葬壁画、歴代の陶俑、歴代陶磁器、歴代建材、漢唐銅鏡、金銀玉器、歴代の貨幣八種類に分けるになる。
1991年6月20日以降、13もの朝廷が都を置いた西安で、日々数多くの来館者を迎え、周秦漢唐の芸術の殿堂として、中国の輝かしい歴史の品々を展示し、人々の記憶に残る。特に唐代の壁画展示が人目を引く。300?の唐代の壁画から34枚を厳選し、公開している。いずれも中国最高のレベルに達しているこの壁画は宮廷生活や楽隊、儀杖隊、狩猟風景などが多彩に描かれ、中国古代絵画の最も重要な遺産である。


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by xiantabi | 2018-04-27 11:11 | 海外旅行 | Comments(0)

西安 観光

西安古城壁、西門(安定門)
西安城壁は、中国の古代城壁の中で、最も完全な状態で残っている城壁だ。世界に現存する古城壁の中でも、最大規模で、保存状態も良い。西安古城壁は、完全に保存されている世界最大の古代城壁として、また世界で最も整った古代の軍事砦として有名である。現在、西安にある城壁は、唐の長安城を基礎に明の洪武年間(1370年〜1378年)にかけて、レンガを積み重ねて築かれた。城壁は、周囲13912メートル、高さ12メートル、底の幅18メートル、頂部の広さ15メートルある。厚さが高さより大きい堅固な城壁である。西安の城壁で最大の西門。この門はシルクロードの発着点ともなった。シルクロードへと続く道は、西側の城楼内にあるお土産やさんの窓から見ることができる。

唐隋の時代の皇城壁をもとに明の洪武年間(1370-1378年)に造られました。周囲の長さは13912m、高さ12m、底部の幅は18m、頂上の幅は15m、厚みがあり、頑丈な造りになっている。城壁を中心にして、護城河、吊橋、箭楼、正楼、角楼、城門などはみな軍事設備で、古都の防御システムだった。城壁の東西南北の城門には それぞれ正楼、箭楼、閘楼の三重門がある。

明の時代に,朱元璋は 天下の山川は,秦中が険固と号される と考えた。西安の城壁は,当時の建城ブームで,都督の濮英の主宰の下,唐代の旧皇城の基礎で再建されたものである。明代の城壁は高さ12m,頂上の幅は12〜14m,底部幅15〜18m,周囲全長13.7mである。上には,12m毎に櫓が置かれ,合せて98ある。西安の城壁の東西南北の城門には,それぞれ 正楼 箭楼 閘楼 の三重の門がある。城壁の外側には, ?墻 が5984ヵ所作られ, ?口 から矢を射ることや展望することができる。城壁の周りに,広くて深い堀があり,城門の所には吊橋がかけられている。

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by xiantabi | 2018-04-26 10:58 | 海外旅行 | Comments(0)

中国西安ツアー

歴代の王朝が都を定めた長安。その長安で古都の雰囲気を演出しているもののひとつに大雁塔、西安市の南4キロにあります。唐の三代目の高宗李治が皇太子のとき、生母文徳皇后の冥福を祈り648年に建てた慈恩寺の境内に立つ塔で、西安のシンボルです。当時の規模はかなり大きかったが、唐代末期に戦乱のため焼き払われ、現存するのは当時の十分の一に過ぎません。652年にインドから帰った玄奘三蔵法師の願いにより、境内に大雁塔を建て経典を保存することにしました。塔は煉瓦でできており、当初は五層の塔であったが、則天武后の時代に大改造を行い十層になりました。しかし、戦乱などで上部が崩壊し、現在は七層で、高さは64メートルです。内部の木製のらせん階段を登ると、最上部まで行くことができます。塔の入口の両側には、玄奘三蔵法師の功徳をたたえるために、太宗と高宗の筆による「大唐三蔵聖教序」と「大唐三蔵聖教序記」と書かれた石碑が納められています。

今の大きさは昔の十分の一に過ぎません。現在の境内にある当時の建物は大雁塔だけですが、塔の前方には明代と清代の建物が残っています。その講堂の中に金色の阿弥陀仏と昔の仏座が展示されています。講堂前の大雄殿には釈迦如来の三身仏と十八羅漢があります。これらの仏像は明代のもので、後年、鍍金したり、塗装して現在に至っています。塔の東南に明、清代の慈恩寺歴代住職の舎利塔が八基あります。庭園には鐘楼と鼓楼があり、その中にそれぞれ大きな鐘と太鼓が掛けられています。シルクロードを通って西域128ヶ国を歴訪し、インドでの遊学を終えて、多くの経典と仏像を長安に持ち帰った唐の高僧玄奘法師は慈恩寺をすばらしい寺として、この寺の境内に塔を建立して、仏像と経典を保存したいということを高宗に願い出ました。高宗は玄奘の願いを適え、玄奘の建議によってインドの塔婆を真似て、五層の塔を建てました。これは652年のことでした。この塔に使用された材料は煉瓦、石灰、土、餅米で、内部を土で築き、外面に煉瓦を積みました。塔が一日でも早く出来あがるように、玄奘は毎日、朝早くから夜遅くまで煉瓦などの材料を籠で背負って運搬したと伝えられます。塔が竣功してから、玄奘の持ち返った仏像などがその中に安置されました。そして、玄奘は慈恩寺を翻訳経院とし、経典の翻訳を約11年間に亙って続けました。大雁塔は則天武后の長安年間(701−704)に大改造を行って十層になりましたが、その後の戦乱などで七層から上が崩壊してしまいました。南の石門の横木を潜ると、中央広間の回廊の南側の石碑の上に科挙の合格者の名前と出身地が刻まれています。


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by xiantabi | 2018-04-24 11:47 | 海外旅行 | Comments(0)

始皇帝陵から東へ1.5キロの地点に、世界八番目の不思議とも呼ばれる兵馬俑坑があります。1974年3月、かんばつに窮した地元農民が井戸を掘り始めたところ、二、三メートル掘ると変わった陶器の破片が見つかりました。考古学者の鑑定により、ここに始皇帝の地下近衛軍団が配置されていることが初めてわかりました。この偶然の発見によって、地下に二千年も眠っていた世界を驚愕させる兵馬俑がようやく日の目を見ました。坑は発掘順序に基づき一合坑、二号坑、三号坑と名づけられました。最大の一号坑は長さ230メートル、幅62メートル、深さ5メートル、総面積14260平方メートル、兵馬俑の数は約六千体、二号坑は6000平方メートル、俑の数は千体余り、三号坑は500平方メートル、俑の数は58体に過ぎず、規模が一番小さいが、地下軍の司令部に当たる。博物館は3つの俑坑(1号俑坑、2号俑坑、3号俑坑)と1つの展示ホール(ブロンズシャリオ)で構成されています。

最大の一号坑は長さ230メートル、幅62メートル、深さ5メートル、総面積14260平方メートル、兵馬俑の数は約六千体、二号坑は6000平方メートル、俑の数は千体余り、三号坑は500平方メートル、俑の数は58体に過ぎず、規模が一番小さいが、地下軍の司令部に当たります。一号坑は今なお発掘を続けているが、中は土掘によって区切られ、上に丸木を掛け、その上にゴザを敷き、表は2メートルの土で覆われています。前衛部隊とその四方に立っている警備隊に守られ、主力軍は38列に分けられ、東に向かい整然と列を組んでいます。

一号坑は今なお発掘を続けていますが、中は土掘によって区切られ、上に丸木を掛け、その上にゴザを敷き、表は2メートルの土で覆われています。前衛部隊とその四方に立っている警備隊に守られ、主力軍は38列に分けられ、東に向かい整然と列を組んでいます。兵隊俑の平均身長は180センチ、上半身は空洞だが下半身は空洞ではありません。顔の表情はそれぞれ異なり、身分により服装もまちまちでだが、共通しているのは、いずれも手に武器を握っていること。一部の俑にはまだ色彩が残っています。馬の高さは1.5メートルで西域の大宛の馬に似て、足が速いと言われています。兵馬俑はこの場所の付近の粘土を材料にして、彫刻などの手法を施し、最後に窯に入れて焼いて作られました。殉死制度のあった時代に人間に代わって陶製の人形を殉死品とすることから、人類文明の進歩を窺うことができます。兵隊俑の平均身長は180センチ、上半身は空洞だが下半身は空洞ではありません。顔の表情はそれぞれ異なり、身分により服装もまちまちでだが、共通しているのは、いずれも手に武器を握っていることだ。一部の俑にはまだ色彩が残っています。馬の高さは1.5メートルで西域の大宛の馬に似て、足が速いと言われています。兵馬俑はこの場所の付近の粘土を材料にして、彫刻などの手法を施し、最後に窯に入れて焼いて作られました。殉死制度のあった時代に人間に代わって陶製の人形を殉死品とすることから、人類文明の進歩を窺うことができます。

すべての兵士と馬は長方形に配置され東に面していて、それぞれ矛、戈、?、戟のいずれかを装備しています。主鋒の前方部隊は、歩兵で3列をなしています。その後方には、重装兵士の主力があり、38台の馬車が同行しています。南、北、西には防衛翼として隊が1列並んでいます。このような壮大な古代軍隊の前に立てば、前進する兵士たちの足音による大地の鼓動を感じることでしょう。すべての人物は、顔の特徴や表情、服装、髪型、身振りが異なり、その当時の軍事、文化、経済史の研究に対して豊かで詳しい資料を与えてくれます。

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by xiantabi | 2018-04-23 14:09 | 海外旅行 | Comments(0)

兵馬俑 行き方

陜西省旅行観光ガイド
陝西省は、略称は秦、または三秦。古代中国の長安一帯を含む地域。省内には黄河が流れ、中国のほぼ中央に位置し、黄土高原が広がる。北部は内蒙古自治区と接し、砂漠である。東部は、山西省と河南省、西部は寧夏回族自治区と甘粛省、南部は四川省?重慶市、東南部は湖北省と接している。南部を秦嶺山脈が東西に走る。北部の冬は乾燥し寒く、夏は非常に暑い。南部は雨がより多い。陝西省は中国内陸部の中央、黄河の中流に位置し、総面積が約21万平方キロメートル、人口が3739万人に達する。省内の夏は暑く冬は寒く、四季がはっきりとしている。年間平均気温は7−16℃で、旅行シーズンは3−11月。
陜西省の域内には、山間地帯もあり、平原もあり、地形が複雑である。南北が高く、中央部が低いのはその基本的な特徴。北から南へと、三つの特色ある自然区域が形づくられ、北部は陜西北部黄土高原で、中央部は「八百里秦川」と称されてきた関中平原、南部は秦巴山区である。陜西省北部の黄土高原は標高800〜1300メートル、総面積の約45%を占める。省都西安は北西地区でも最も工業の発達した都市である。西安は陝西省の省都で、総面積が9983平方キロメートル、人口が753万人に達する、中国西北地区最大の都市である。西安、延安、楡林、安康、漢中のいずれにも空港があり、西安咸陽国際空港が西北地区最大の空港である。早くも2000年以上昔に、中国から始まるシルクロードは中国と中央アジア、南アジア、西アジア、そしてさらに遠くのアフリカ、欧州などの国々を結びつけ、沿線諸国の文化交流、貿易往来の重要な街道となった。
陝西は西周(紀元前1046−771年)時代初期にその名がつけられた。春秋戦国時代は秦に統治されていたため、略称は「秦」。後世の人々は陝西北部、関中、陝西南部をまとめて、「三秦」と呼んだ。秦の都ー咸陽、前漢と唐の都長安が有った地であり、シルクロードの起点とされることもある(シルクロード:長安-天山回廊の交易路網)。北部の延安は中国革命の聖地として名高い。 呉旗は、長征の終了宣言が出された街である。省中部にある西安は、旧時長安と呼ばれ、漢や唐など古代王朝の都であった。中国六大古都の一つで、「兵馬俑坑[へいばようこう]」や「碑林」などの旧跡が多い。市内には黄河などの河がある。秦の始皇帝陵、兵馬俑、黄帝陵など72の歴代の帝王陵墓が省内に散在している。法門寺、西安碑林、陝西歴史博物館、西安古城壁など歴史的観光スポットが多い。また、延安は中国革命ゆかりの地で、鳳凰山革命旧址を始めとする革命旧址が多い。


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by xiantabi | 2018-04-22 15:00 | 海外旅行 | Comments(0)

西安 観光

延安は、かの有名な中国共産党が国民党との対立の最中、一時的ながら拠点を置いていた街であり、近代中国の歴史において、その名は欠かせないものとなっています。また、かの有名な毛沢東が中国共産党を率いるようになり、多数の論文を記したのもこの街です。そうした経緯から中国共産党の聖地として知られる延安の、革命の歴史や、現在の中国のルーツを辿れる観光スポットをご紹介します。唐の時代に都が置かれた長安(西安)から北にある街「延安」。周囲は山に囲まれ、川に沿って街が形成されています。
中国国共内戦(国民党と共産党の対立)で毛沢東率いる共産党指導者が一時、本拠地とした場所が延安です。延安はその共産党の革命の起点となった場所といわれ、中国近代史において必ず登場する重要な場所の一つです。そのため中国共産党の聖地ということで観光に訪れる方もいます。
現在も続く「中国共産党」のルーツを探るのにはぴったりの観光スポット延安。革命の始まりとなった観光地を中心に紹介していきます。
延安棗園革命旧跡
「延安棗園革命旧跡」は延安市の西北、約8キロほどのところにある重要保護文化財でもある観光スポット。もともとは地主の荘園だった場所で、中国共産党中央がここに中央社会部を置きました。棗園革命旧跡は当時「延園」と呼ばれ、正門の両側にある柱には後の毛沢東の片腕となる共産党の重要人物・康生が書した「延園」の文字を見ることができます。
棗園は1944年から1947年まで、中国共産党の中央書記・楊家レイが使用していました。この間、リーダーとして全党の運動を指揮し、解放区軍民を展開。延安で中国共産党の党大会の準備や、日中戦争の指揮を取りました。
日本との戦争が終わると共産党は国民党と再び対立し、内戦を集結させるため棗園で作戦を練りました。毛沢東はこの地で「指導方法に関する若干の問題」「地租減税の展開と生産による愛民運動」など多数の中国革命の貴重な文書を残しました。中国の歴史にとって欠かせない延安の観光スポット「延安棗園革命旧跡」、歴史的背景も知識に入れて観光するとより楽しめますよ。年間を通して美しい庭園もあるので、ほっと一息つくのにもオススメです。
宝塔山
その昔「嘉レイ山」と呼ばれた宝塔山は、延安中心部から東へ行ったところにある観光スポットです。頂上から延安の街全体が見渡せます。山頂に塔があることから、「宝塔山」と呼ばれるようになりました。
標高は1135メートルで初代の宝塔は唐の時代に建てられましたが、現代の塔は明の時代のものです。八角形の形をした九層構造で、高さはおよそ44メートルあり楼閣式をしています。
宝塔山は革命の聖地である延安の「シンボル」とも言える観光スポットで、中国共産党が延安に移ってからは、革命の象徴として存在感を発揮しました。中国の近代史に興味のある方は、観光プランに入れておくといいですね。
楊家レイ革命旧跡
楊家レイ革命旧跡は、延安市の西北およそ3キロの楊家レイ村にある観光地です。1938年から1940年と1942年から1943年の間、中国共産党中央がここで中国革命の指揮を取りました。
毛沢東は1938年の11月から1943年の5月まで滞在し、1940年の秋になると中央大礼堂の改修工事で環境が悪化したため、毛沢東をはじめとした一部の指導者は、同じく延安にある「棗園」へと機関を移しました。1942年に「楊家レイ革命旧跡」に戻りましたが、1943年には再び棗園へと移りました。
毛沢東はこの地で「中国革命と中国共産党」や「新民主主義論」、「延安文芸座談会講話」といった重要な文章を数多く執筆しました。1945年に「中共第六七中全会」において「歴史問題に関する決議」を行ったことから「中国革命の聖地」と呼ばれ、現在では観光客向けに解放されています。棗園と合わせて観光するとより中国の歴史を感じることができるでしょう。

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by xiantabi | 2018-04-21 11:28 | 海外旅行 | Comments(0)

西安発丹霞地貌ツアー

白雲山
道教の聖地として中国で名高い白雲山。楡林市佳県から南へ下った黄河のほとりに位置しています。
1年中白雲が浮いていることから名づけられた白雲観は、中国西北地区最大の道教建築群であり、楡林有数の観光名所です。
宋の時代に建設が始まり、明や清の時代に時の皇帝が道教の書をこの白雲観に収めるなどして全国的に注目を浴びるようになったことで建設が盛んになりました。このように長きに渡り建設されたことで今では54の建築物があり、200種以上の神、400体以上の像が安置されています。
また、道教の神以外にも仏教や儒教、民間信仰の神なども祀られ、さまざまな宗教が融合している稀有な観光名所です。その独特の雰囲気を味わいに観光へ行ってみてはどうでしょうか。
統万城
?林郊外の観光名所である古代の都市遺跡、統万城。5世紀に五胡十六国時代末期の匈奴の赫連勃勃が築き、「天下を統一し、万邦に君臨する」という意味を与えるために統万城と名づけました。
防衛機能を高めるために重要な意味を持つ城壁は3cm以上キリが刺さらないほど非常に固く作られていたという記録が残っています。
黄土に草ともち米を煮詰めて極限まで固くしていたようで、3cm以上キリが入るとその壁を作った作業員は殺された後に壁に埋め込まれたという背筋が凍る逸話も残っているほど。
敷地はとても広大で北京の紫禁城の大きさに匹敵するほどだったとも伝えられていますが、遺跡は1,500年の時を経て風化していたり、草や木がところどころに茂っていて栄枯盛衰の歴史を感じ取ることでしょう。
???
中国最大の砂漠の淡水湖である???。楡林の街の中心部から北へおよそ100kmのところに位置する神木県の中にあります。
ここの観光の見どころは、渡り鳥のゴビズキンカモメ。絶滅危惧種に指定されているこの種の棲息地であり、ここで繁殖も行われています。
また、楡林の人々が生活の糧を得る場でもあり、魚釣りに勤しむ姿を見かけるかもしれません。周りに建物がほとんどないので空は広く、開放的な景色の中、水遊びをしたりモーターボートで疾走したりとさまざまな観光アクティビティが楽しめますよ。浅瀬が続くので安全なのも嬉しいところ。
水辺での観光を楽しみたいなら、楡林から少し足を伸ばして???へ行きましょう。
波浪谷
?林の街から南西へおよそ130kmほど離れたところに位置する靖辺県にこの波浪谷はあります。?林の隠れた観光名所として知る人ぞ知る観光スポット。
波浪谷が比較対象に挙げられるのが、アメリカのアリゾナ州にある「ザ・ウェーブ」。地層が織り成す異世界、異次元の絶景が話題を呼んでいますが、なんと1日20人限定の観光地。
この波浪谷は「ザ・ウェーブ」と同緯度にあり、同じような景色が見られるんです。
巨大な熊手で線を引いたような模様は、気の遠くなるような歳月をかけて風雨に侵食された末に完成したもの。直線や曲線といった模様から、穴が開いてドアの形状になっていたり、地面に突き刺さった剣に見える柱があったりととにかく自然の神秘を感じざるを得ません。?林の観光でおすすめのスポットです。

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by xiantabi | 2018-04-20 11:02 | 海外旅行 | Comments(0)

中国 西安 現地ツアー

楡林は上郡と呼ばれ、春秋戦国時代に始まり、明、清王朝で栄えました。明代の九辺の要衝「延?鎮」とされ、「小北京」として評判でした。清の康煕帝からは「両守孤城、千秋忠勇」の碑も下賜されました。「南に塔、北に台中古城、六層の街は天下に誉れ」と称されています。広大な土地の楡林は歴史と文化の街で観光客も訪れます。楡林は陝西省の最北部、黄土高原とマオウス砂漠の境界にあります。
340万人ほどの人々が暮らす、陝西省の北端に位置する楡林市(ゆりんし)。中国最大の観光スポット、万里の長城が通る都市としても知られています。北方からやってくる人々が長安へ向かう際に立ち寄る場所でもあり、交通の要所として機能していました。
また、鉱石や鉱物資源の埋蔵量が多いことから「中国のクウェート」と呼ばれることもあり、楡林の主産業として神木県に巨大炭鉱地帯があります。神府炭田は世界7大炭田の一つ。そんな楡林の観光スポットを6ヵ所ご紹介します。
紅石峡
楡林の街から北へ約3km進んだところに位置する、紅石峡。紅山の麓にあり、その名の通り赤い色の岩肌が見えることからそう呼ばれています。
おすすめの訪問時間帯は、夕方頃。夕日が沈んでいくとより一層紅色が増し、その美しさは楡林八景の一つにも選ばれ「紅山夕照」と称されています。
また、約10ヵ所の石窟から成る宋、元代の雄山寺ではダイナミックな景色が待ち構えていますよ。
紅石峡の見どころは、自然景観だけではなく崖に刻まれた詩も必見。その昔、儒学者や文官が楡林を訪れた際にこの地で詠んだ詩を刻んで帰る、という風習が流行り、今でもそれらの作品を鑑賞することができるんですよ。
書をたしなむ人たちからの間ではとても有名な観光スポットです。
鎮北台
楡林の市街地から北へ4kmほどのところにある、鎮北台。紅山長城の一角にあり、款貢城という城壁に囲まれた重要な軍事施設で見晴らし台の役割でした。今では大勢の観光客が訪れる楡林の有名な観光スポットです。
この鎮北台が最初に建てられたのは戦国時代。その後1607年に明の時代に、北方を鎮圧するために再建されました。高さ約30m、正方形の4階建てからなっており、敵の侵入を素早く察知できるような場所に建設されています。台に上ると数10km先まで見渡すことが出来ると楡林の中でも一番の絶景スポットです。
悠久の歴史を感じることのできる観光名所と言えるでしょう。

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by xiantabi | 2018-04-20 10:56 | 海外旅行 | Comments(0)

拝将台
中国には3つの拝将台があります。そのうちの1つが、ここ陝西省漢中市の拝将台です。ちなみに残りの2つの拝将台は、湖北省と江西省にあります。拝将台とは、武将の活躍を記念したもので、漢中の拝将台は前漢の皇帝劉邦を支えた韓信の像があります。韓信は麻雀でお馴染みの「国士無双」という言葉の語源となった人物。類まれなる武勇と軍略は、多くの小説などでも描かれています。
陝西省の拝将台は漢中市の城南門にあり、「拝将壇」とも呼ばれています。南北に2つの四角い形をした高台があり、漢の高祖「劉邦」が造らせれたと伝わります。南側の台には「韓信拝将壇」の碑が、北側の台には「台亭閣」が建てられ、観光地の一つになっています。
いずれも貴重な観光スポットですので、訪れる前に予備知識を蓄えておくといいでしょう。
石門桟道
中国のドラマや映画などで、漢中の場面になると必ずといっていいほど映し出されるのが桟道。漢中のならではの風景として知られています。だったら、桟道も観光しておきたいですよね。項羽と劉邦の物語や三国志に詳しい方なら、なおさらです。
桟道はダム湖の崖の周囲に造られており、湖の風景を眺めながら歩くことができます。高いところを歩くので、スリルを味わえます。同じような道を劉邦や諸孔明も通ったと思うと、ロマンを感じます。
また、漢中博物館にある「石門十三品」の石門も見逃せない観光スポット。漢中博物館と合わせて観光するといいでしょう。
さらに、近くには三国志の漢中攻防戦の大きな絵が。魏の夏侯淵など勇ましい武将の姿を見て、物語を理解すると、より観光を楽しめるでしょう。そして、劉邦や韓信、諸公明の大きな像も見ごたえがあるので、ぜひ訪れてほしいです。
や劉邦らの像があります。中国古代史のファンには、たまらない観光スポットですよ。
百万ムーの菜の花
漢中は秦嶺山脈や巴山に囲まれ、漢水という川が流れる盆地。さらに、気候も温暖で湿潤です。農業が盛んで、緑も豊富です。その土地の豊かさは、江南地方に例えられるほどです。
そんな漢中の魅力を感じることができるのが、「百万ムーの菜の花」と呼ばれる菜の花畑。一面黄色に広がるようすは、4月ごろです。
「ムー」とは中国の面積の単位。1ムーが約2668haなので、かなり広いですよ。
虎頭橋
「虎頭橋」は陝西省漢中市の劉家巷にある観光スポットです。言い伝えによると、ここは三国時代に蜀漢の馬岱が魏延を斬った場所です。橋はすでに壊れていますが、石碑が建てられ「古虎頭橋」と刻まれています。
魏延は三国志に登場する蜀の武将。諸公明の死後、蜀の方針に逆らったことで、同じ蜀の武将の馬岱に殺されました。諸公明亡き後の蜀の混乱がうかがえる事件です。
また、橋から少し離れたところには飾り物や人や馬の石像が今でも残っています。三国志に興味のある方は観光プランに入れておくといいでしょう。漢中駅からも近い街の中心部にあるので、行ってみるといいかもしれませんね!

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by xiantabi | 2018-04-19 15:19 | 海外旅行 | Comments(0)

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