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小雁塔
市内の南門から約3キロのところにある。長安のほぼ中心に位置する高さ43.3メートルの塔で、薦福寺の境内に建っている。大雁塔と比べて小さいことからこの名がついた。塔は高僧の義浄が天竺から持ち帰る仏教の経典、仏図などを保存するために建てられる塔です。薦福寺は、684年、則天武后が高宗の崩御百日忌に、その冥福を祈るために、創建した寺であるが、現在は寺院建築は残されていない。当時の塔は15階建てであったが、地震で二階部分が崩れ、現在では13階建てになっている。
小雁塔の「神合」
長い年月の間に、小雁塔には「神合」といわれる歴史的な出来事があった。1487年、震度6クラスの大地震が発生し、塔のまん中に、1本の大きな亀裂が入った。34年後の1521年、再び大地震に見舞われ、その時に、一晩にしてその亀裂がふさがったという。
人々はこれを不思議に思い、小雁塔がもとの状態にもどったことを「神合」と呼んだ。1555年9月、王鶴という役人が故郷へ帰る途中、小雁塔に投宿した。その時、この不思議な「神合」の話を聞いて驚き、その内容を、塔北側の入口の横木に刻んだ。
建国後の修復時、「神合」ではなく「人合」であることが判明した。当時の大工が、西安の地質状況を考えて、塔の基礎部分を、土を固めた半円状にして、揺れを分散させていたのだ。そのため小雁塔は、起き上がりこぼしのように倒れることなく、70回以上の地震にも耐えられたのだ。昔の匠の高度な技術に感嘆せずにはいられない。
乾陵
西安の西北約80キロの乾県に位置する乾陵は、唐代の第3皇帝の高宗、李治和とその皇后で中国唯一の女帝であった武則天(則天武后)の陵墓で、“唐十八陵”の中で保存状態が最もよい皇帝の陵墓といわれている。 また、中国の歴史上で唯一、二人の皇帝が一緒に葬られている珍しい墓でもある。
かつては内壁と外壁で城壁が囲まれていたが、現在外壁はすでに消失している。参道には馬、高宗の葬儀に参列した外国の使節や、武官、文官、献上された動物をかたどった石像が120体ほど並んでいる。
陵墓の南東には太子や皇子、公主(皇帝の娘)など17の陪塚があり、永泰公主、章懐太子、懿徳太子の墓はすでにすでに発掘が済んでおり、4300点あまりの出土品が乾陵博物館に展示されている。 17歳で自害させられた高宗の孫娘、永泰公主の墓に描かれた美しい官女たちの壁画は当時の工芸技術の高さを物語る。
梁山には3つの峰がある。北の峰が海抜1047.9mと一番高く、合葬墓はこの峰にある。南にある二つの峰はそれより低く、東西に対峙するその中央に「司馬道」がある。この二つの峰は「乳峰」と呼ばれる。唐高宗と則天武後の地下宮殿は盗掘にあってないというがまだ未発掘である。博物館は永泰公主墓の側にあり、乾陵を中心とする墓群で発掘された文化財が多数展示されている。墓内には、日本の高松古墳のような壁画が見られる。
唐高宗陵墓碑は、高さ2m。もともとあった碑は破損しており、現在の碑は清乾隆年間に建てられたものだ。この碑の右前方には、郭沫若によって「唐高宗李治与則天皇后之墓」の12文字が書かれた碑がある。

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by xiantabi | 2018-12-14 09:23 | 海外旅行 | Comments(0)

西城門
西安古城壁は、完全に保存されている世界最大の古代城壁として、また世界で最も整った古代の軍事砦として有名である。
現在、西安にある城壁は、唐の長安城を基礎に明の洪武年間(1370年〜1378年)にかけて、レンガを積み重ねて築かれた。
城壁は、周囲13912メートル、高さ12メートル、底の幅18メートル、頂部の広さ15メートルある。
厚さが高さより大きい堅固な城壁である。
南門、北門、西門、和平門、文昌門などから城壁に上ることができる。
唐の時代、西安は長安と呼ばれ、その時中国の茶、陶磁器、文化、科学はシルクロードより世界へ伝播されていた。西安には敵から街を守る擁壁が約14kmの長さで構築され、シルクロードの東の起点に西城門がある。シルクロード交流2100年を記念して、1988年に建てられたキャラバンの群像。
当時は現在の西安城壁のさらに外側に、もうひとつの城壁がありました。群像は その城壁の門があった場所に設けられ、"シルクロード起点"といわれています。
西門(安定門)
西安の城壁で最大の西門はシルクロードの発着点ともなりました。(シルクロードへと続く道は、西側の城楼内にあるお土産やさんの窓から見ることができます)
シルクロード起点の群像
シルクロード交流2100年を記念して、1988年に建てられたキャラバンの群像です。 当時は現在の西安城壁のさらに外側に、もうひとつの城壁がありました。群像は その城壁の門があった場所に設けられ、"シルクロード起点"といわれています。
鐘鼓楼
鐘鼓楼の概要
西安の中心地、城壁内にある木造建築で、すでに600年の歴史がある。高さは36メートル。見た目は三階あるように見えるが、中に入って見ると二階しかない。釘を一切使わず、継ぎ目のない一本柱様式の珍しい建物である。上部には大きな鐘が一つ吊るされ、昔はは人々に時を知らせていたという。600年の歴史がある木造建築で、見た目は三階あるように見えますが、中に入ると二階建てであることがわかります。鐘楼から見た鼓楼には、 大きな太鼓がある 。
鐘楼内部
鐘楼は城壁で囲まれた市街の少し南に寄るが、ほぼ中心に立つ。ここを起点として東西南北に4つの大通りが延び、それぞれの城門に通じている。鐘楼は正方形の木造建築で、高さ36m、敷地1,377?で、8mの煉瓦作りの土台の上に立っている。現在はテープが流されている。外観は三階建ての様に見えるが、実際は二階建ての建築物である。釘を一本も使っていないのが特徴。 鐘楼内部では中国の楽器に よる演奏が催されていました。

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by xiantabi | 2018-12-08 08:26 | 海外旅行 | Comments(0)

大明宮遺跡
 大明宮遺跡は、現在の西安市に位置します。唐太宗貞観八年(紀元634年)に建てられ、最初の名前は永安宮といいました。唐高宗から唐代歴代の皇帝はここに住んで、国政事務を処理し、唐の政治と文化の中心地となりました。

 唐大明宮は、中国古代宮殿建築群の傑作として、盛唐の精神と中華民族の燦然たる文化成果を十分に世界に示しています。唐代の最盛期においても、最も雄大な宮殿建築群ですから、世界でも名を知られています。

 2010年10月1日、西安大明宮国家遺跡公園で盛大な開園式が行われました。大明宮遺跡は、人類文化遺産の重要な部分として歴史、科学、技術などの面においてきわめて高い価値を持っています。

 大明宮国家遺跡公園の敷地面積は、3.5平方キロメートルに達し、広さは世界で有名なニューヨーク中央公園とほぼ同じです。大明宮の元の地形と地表の遺跡が、状態良く保存されているだけではなく、西安市の公共空間を激増させています。大明宮国家遺跡公園は、西安市における最大の中央公園で、西安市の発展、都市の面影の改善、文化繁栄の実現に重要な意義を持っています。

 現在、大明宮遺跡の発掘面積は1%しかありません。これから、含元殿と宣政殿の間は考古作業の重点になります。現在の予想では、大明宮遺跡の発掘は少なくとも200年間もかかるそうです。

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by xiantabi | 2018-11-30 09:00 | 海外旅行 | Comments(0)

西安ツアー
 千里の金色の城、兵馬俑、古い城壁は千年の歴史を持ち、帝王都の趣を示しています。
 昔、西安は長安と呼ばれていました。西安の歴史は長いです。文化、習俗、美徳、伝統、糟粕まで含んでいる中華民族の何千年の沈殿や蘊蓄は、ここで静かに引き続いていきます。「長安は古くから帝王の都」といわれています。周・秦・漢・唐の輝かしい歴史を持っている西安はアテネ、カイロ、ローマと世界四大古都と称され、隠しきれない王城のオーラがにじみ出ています。現在、西安の城壁はまだ現存しています。ここの空気の中では、歴史の長い流れの中で遠く去っていった典故と伝奇の味わいがあります。シルクロードのスタートとしてのラクダの鈴、世界各国から拝謁しに来た使臣、一つの油ランプの下で経書を通訳した玄奘、園の中できれいな服装で踊っていた妃などの場面は想像がつきます。大雁塔が高くそびえ、見る限り高いビルばかりです。街のあちこちにいろいろな飲食店があります。書院の中で、古めかしい書画が一つ一つの夕日に染まります。徳福巷にあるたくさんの現代的なバーと喫茶店は若者の夜のパラダイスです。高くそびえ立つ城壁の下を歩くと、ふと、古くて重みのある歴史との奇妙な交錯感が感じられます。 
 西安観光は旅慣れた旅行者であれば一日で十分に楽しむことができます。しかしよりそのたびを充実させ、歴史的な雰囲気に浸りながら博物館の展示品をじっくりと楽しみたい方には最低でも二日はあったほうがよいでしょう。崋山のような見事な山をトレッキングするのと同様に歴史的な名所を巡るのはいかがでしょうか。
 西安に来たら兵馬俑を見ずして帰ることはできません。それはまるで北京で紫禁城を見ないのと同じことです。しかしそれがハイシーズンともなると個人で行くのは少し大変です。というもの兵馬俑にはものすごい数の観光客が訪れ、この歴史的壮大な雰囲気につつまれた光景を写真に収めようとするからです。特徴的な彫刻像が現在もなお発掘されている様子は必見です。さほど詳細な事項については書かれていませんが英語での説明もあり、多少なりとも鑑賞するうえで役立つでしょう。また建物の2と3を見てから1へ行くことをおすすめします。
 西安西線と呼ばれる人気コースの一つ「乾陵」を観光!西安旅行西線の兵馬俑.華清池.碑林博物館.陝西歴史博物館.大雁塔.西城門を巡る!地下宮殿から発見された文物が見逃せない「法門寺」をもご案内!
 世界遺産の「兵馬俑」観光と北京の故宮博物館に並び見所が多い大規模な博物館「歴史博物館」を見学!唐の玄宗皇帝と楊貴妃とのラブロマンスの舞台として有名な華清池と華清池をほとんど網羅のコース!
 西安のシンボルの兵馬俑と大雁塔を満喫!西安より約120KM、雄大さと険しさで古くから中国五岳の華山を登る。途中の北峰まではロープウェーもご利用!最後、ゆったり陝西歴史博物館と千年の城壁をまわる!
 ここは雨の日でも十分に楽しむことができます。また兵馬俑見学後はここから1.5kmほど離れたところに秦の始皇帝の墓があります。見学できる箇所はあまりありません。ですがその規模の大きさは見る価値があります。
 このほかに3つの観光名所をご紹介しましょう。乾陵(複雑な墓)と法門寺(隣接する塔も含む)そして景帝陵です。一般的なツアーでは周ることのない所ですが華清池の北に位置する観光地として要チェックです。
 崋山は堂々たる姿をし、切り立った峰と蜘蛛の巣のように張り巡らされた永遠と続く階段によって完備された歩くことのできる部分とに分けられています。ここにはリフトもあり、それに乗って山を上り下りできます。しかし峰の間を歩くことは本当に刺激的です。
 もちろん数キロ歩くことになりますが崋山へは日帰りできます。個人的にはリフトに乗ることをおすすめしますが峰を歩くこと、石の階段を一段一段、登ってみるといったことも悪くはありません。しかし14000段の階段を上り下りした後は足が痛くなり、きっとエステに行ったよりも足が細くなっていることでしょう。


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by xiantabi | 2018-11-15 10:18 | 海外旅行 | Comments(0)

陝西歴史博物館
 唐代の建築様式を取り入れた大規模な博物館で、収蔵点数37万点。そのうちの六千点が常時展示されている。
 原始社会から明の時代までの長い歴史を代表する貴重な文化財がここにまとまって収蔵されているので、中国の五千年の歴史を一度に巡ることができる。
 特に注目を集めているのは唐代の壁画展示で、300平方メートルの唐代の壁画から34枚を厳選し公開している。いずれも中国では最高級のレベルに達している。
 これらの壁画には宮廷生活や楽隊、儀仗隊、狩猟風景などが多彩に描かれている。これらは、中国古代絵画の最も重要な遺産である。
展品の類別
 博物館には、現在115000点以上が所蔵されている。その内、登録されたものは41000点以上、未登録のものは74000点以上。(整理されていない金銭はカウントしない) 大半の収蔵品は陝西省博物館から譲渡されたものだ。収蔵品を大まかに分けると以下の八種類になる。
一、銅器。3900点以上が登録済み。商周代から秦漢までの物があり、その種類は礼器、楽器、兵器、車馬器、生活用品、生産工具など。中でも典型的な品は、商周の青銅器など。
二、唐代墓葬壁画。400幅以上。1000?以上。1952年から1989年に陝西関中地区の25ヶ所あった、唐代の墓から採取したもの。唐代の社会を反映している重要な資料。
陶塑人頭像三、歴代の陶俑。登録済みのものが2000点以上。秦漢、北朝、隋唐、宋元明清の時代の物がある。
四、歴代陶磁器。登録済みのものが5000点以上。有史以前の仰韶文化の彩陶、西周の原始的な青磁、漢代の釉陶、唐三彩、古玻璃、瑠璃、唐秘色磁など。その種類は生活用品、文具、副葬品など。
五、歴代建材。登録済みのものが1000点以上。周秦漢代から唐宋明清のものがある。陶製の瓦、瓦当、レンガ、金属などの建築資材。
六、漢唐銅鏡。登録済みのもの800点以上。種類は豊富で、デザインが美しい。吉祥の文句が彫り込まれたものもある。
獣面具
七、金銀玉器。登録済みのもの2000点以上。西周の玉製の礼器、春秋秦公大墓出土の金の啄木鳥、西漢皇后玉婆など。
八、歴代の貨幣。登録済みのもの10000点以上。種類が豊富。西周の幣、戦国の刀幣、秦の半両、西漢の金など。
これら八種類のほかに、字画、版本、織物、漆器、石器、印、封泥などもある。
陝西省博物館(碑林博物館)
碑林博物館
宋の時代に建てられた孔子廟を利用した博物館で、歴代書家の石碑を数多く収集、展示している。館内は「西安碑林」「歴史陳列」「石刻芸術」に分かれている。
漢代から清代にかけての石碑のコレクションは「西安碑林」と呼ばれ、この博物館の展示物のなかで最も有名。王義之、欧陽詢、顔真卿、虞世南など、書道の大家の作品が立ち並んでいるほか、玄宗皇帝の書もあり、中国最大の書道芸術の宝庫といえる。また、キリスト教の伝来を伝える「大秦景教流行中国碑」も見逃せない。
1950年に創建された陜西省博物館。現在、8万点以上の収蔵品があり、歴史陳列室、石刻芸術陳列室、碑林の3部分に分かれている。現在、館内には碑林と石刻芸術が一堂 に集められ、碑林は特に有名である。
石碑の総数は2000点以上にも上る。その入口に玄宗 皇帝直筆の碑があり、中に65万文字に及ぶ十三経の石碑 が並び、王義之、欧陽通、慮世南、顔真卿ら書道大家の原 刻碑100基も展示されている。キリスト教伝来の「大秦 景教中国碑」も入っている。

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by xiantabi | 2018-11-14 10:16 | 海外旅行 | Comments(0)

西安概况
千年古都
 周秦時代から、西安はその独自の歴史的地位により、全国の政治、経済、文化の中心となった。紀元前三世紀より、西周、秦、西漢、新莽、西晋、前趙、大夏、後秦、西魏、北周、隋、唐など、十三の王朝が都を置き、西安は中国の古都として三千年以上の歴史を持っています。
歴史遺跡が多い
 西安の歴史と文化の遺産は非常に多く、物質的形態として残された文物は至る所にみられています。西安には重要文物遺跡が314ヶ所、国家級、省級の重要文物遺跡が84ヶ所、博物館と記念館が約20ヶ所、遺跡や陵墓が約4000ヶ所、出土した文物は約12万点あります。
唐時代に日本に親しい都市
 中国と日本は隣国であり、唐時代には日中両国の往来は極めて頻繁に行われ、日本はたびたび留学生と留学僧を含む遣唐使を長安に派遣していました。阿倍仲麻呂は長安に54年も住み、宗教と文化の伝播と日中両国の友好のために貢献しました。日本の僧侶空海は青龍寺で密宗の法を受け、密宗文化を一心に学び、漢学の研究にも力を入れ、その造詣は非常に深いです。
 また西安は革命の伝統を持つ都市でもあります。1936年12月にここで中国現代史上でも有名な“西安事変”が発生しました。改革開放以降、古い都市である西安は大きく変化し、国務院は西部大開発を実施しました。
崋山
 西岳と呼ばれる崋山は陝西西安から東に120km離れた崋陰市に位置しています。その昔、太崋山と呼ばれていた崋山は海抜が2160mで、現在は中国最大級の観光地でもあります。
 五岳(中国の五大名山の総称)の中でも、崋山はその「険しさ」で有名です。山登りの道は延々と曲がりくねっており、あちこちに断崖絶壁があるほど険しいので、「崋山一筋」とも言われています。
 五つの崋山の峰の中で、東峰(朝陽峰)、西峰(ハスの峰)、南峰(大雁峰)はほかの峰と比べて標高が高いです。特に、朝日を見るのにベストなスポットは東峰です。西峰は東西の両側がハスの花のようにみえるので、ハスの峰と名付けられました。これも崋山の一番秀麗で特異な峰だと言われます。また、最も標高が高い峰は南峰の大雁峰です。そのほかには、中峰(玉女峰)と北峰(雲台峰)も観光客に親しまれています。
 崋山には名所・旧跡もたくさんあります。廟宇、道観(道教の寺院)、亭、楼閣、彫像、石刻などは随所に見られます。比較的有名な名所は玉泉院、真武宮、金天宮だと言われています。また、崋山から北に7 km離れている西岳廟は、はるか昔、西岳崋山の神を祀る古い廟だったとの言い伝えもあるそうです。
観光シーズン
 崋山のケーブルは全長1550mで、その麓から北峰の頂上までの間、なんと800 m弱の高低差を誇っておりそこからの断崖や峡谷の絶景は圧巻です。そのため、崋山は老若男女・国内外を問わず多くの方々が美しさを堪能できる観光名所であるとも言えます。崋山の一番の観光シーズンは毎年4月から10月の春から秋までです。
伝統的な縁日は毎年旧暦の3月15日で、盛大なイベントや祭りが行われ、とても賑やかです。

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by xiantabi | 2018-11-13 10:36 | 海外旅行 | Comments(0)

西安観光スポット 西城門(古城壁)
西城門
古城壁の概要
西安古城壁は、完全に保存されている世界最大の古代城壁として、また世界で最も整った古代の軍事砦として有名である。
現在、西安にある城壁は、唐の長安城を基礎に明の洪武年間(1370年〜1378年)にかけて、レンガを積み重ねて築かれた。
城壁は、周囲13912メートル、高さ12メートル、底の幅18メートル、頂部の広さ15メートルある。
厚さが高さより大きい堅固な城壁である。
南門、北門、西門、和平門、文昌門などから城壁に上ることができる。
唐の時代、西安は長安と呼ばれ、その時中国の茶、陶磁器、文化、科学はシルクロードより世界へ伝播されていた。西安には敵から街を守る擁壁が約14kmの長さで構築され、シルクロードの東の起点に西城門がある。シルクロード交流2100年を記念して、1988年に建てられたキャラバンの群像。
当時は現在の西安城壁のさらに外側に、もうひとつの城壁がありました。群像は その城壁の門があった場所に設けられ、"シルクロード起点"といわれています。
西門(安定門)
西安の城壁で最大の西門。この門はシルクロードの発着点ともなりました。(シルクロードへと続く道は、西側の城楼内にあるお土産やさんの窓から見ることができます)
2重の城楼城楼の彩色
シルクロード起点の群像
シルクロード交流2100年を記念して、1988年に建てられたキャラバンの群像。 当時は現在の西安城壁のさらに外側に、もうひとつの城壁がありました。群像は その城壁の門があった場所に設けられ、"シルクロード起点"といわれています。
鐘鼓楼
鐘鼓楼の概要
西安の中心地、城壁内にある木造建築で、すでに600年の歴史がある。高さは36メートル。見た目は三階あるように見えるが、中に入って見ると二階しかない。釘を一切使わず、継ぎ目のない一本柱様式の珍しい建物である。上部には大きな鐘が一つ吊るされ、昔はは人々に時を知らせていたという。600年の歴史がある木造建築で、見た目は三階あるように見えますが、中に入ると二階建てであることがわかります。鐘楼から見た鼓楼には、 大きな太鼓がある 。
鐘楼内部
鐘楼は城壁で囲まれた市街の少し南に寄るが、ほぼ中心に立つ。ここを起点として東西南北に4つの大通りが延び、それぞれの城門に通じている。鐘楼は正方形の木造建築で、高さ36m、敷地1,377?で、8mの煉瓦作りの土台の上に立っている。現在はテープが流されている。外観は三階建ての様に見えるが、実際は二階建ての建築物である。釘を一本も使っていないのが特徴。 鐘楼内部では中国の楽器に よる演奏が催されていました。
鼓楼
鐘楼から見た鼓楼には、 大きな太鼓がある 。

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by xiantabi | 2018-11-11 11:48 | 海外旅行 | Comments(0)

陝西歴史博物館
 唐代の建築様式を取り入れた大規模な博物館で、収蔵点数37万点。そのうちの六千点が常時展示されている。
 原始社会から明の時代までの長い歴史を代表する貴重な文化財がここにまとまって収蔵されているので、中国の五千年の歴史を一度に巡ることができる。
 特に注目を集めているのは唐代の壁画展示で、300平方メートルの唐代の壁画から34枚を厳選し公開している。いずれも中国では最高級のレベルに達している。
 これらの壁画には宮廷生活や楽隊、儀仗隊、狩猟風景などが多彩に描かれている。これらは、中国古代絵画の最も重要な遺産である。
展品の類別
 博物館には、現在115000点以上が所蔵されている。その内、登録されたものは41000点以上、未登録のものは74000点以上。(整理されていない金銭はカウントしない) 大半の収蔵品は陝西省博物館から譲渡されたものだ。収蔵品を大まかに分けると以下の八種類になる。
一、銅器。3900点以上が登録済み。商周代から秦漢までの物があり、その種類は礼器、楽器、兵器、車馬器、生活用品、生産工具など。中でも典型的な品は、商周の青銅器など。
二、唐代墓葬壁画。400幅以上。1000?以上。1952年から1989年に陝西関中地区の25ヶ所あった、唐代の墓から採取したもの。唐代の社会を反映している重要な資料。
陶塑人頭像三、歴代の陶俑。登録済みのものが2000点以上。秦漢、北朝、隋唐、宋元明清の時代の物がある。
四、歴代陶磁器。登録済みのものが5000点以上。有史以前の仰韶文化の彩陶、西周の原始的な青磁、漢代の釉陶、唐三彩、古玻璃、瑠璃、唐秘色磁など。その種類は生活用品、文具、副葬品など。
五、歴代建材。登録済みのものが1000点以上。周秦漢代から唐宋明清のものがある。陶製の瓦、瓦当、レンガ、金属などの建築資材。
六、漢唐銅鏡。登録済みのもの800点以上。種類は豊富で、デザインが美しい。吉祥の文句が彫り込まれたものもある。
獣面具七、金銀玉器。登録済みのもの2000点以上。西周の玉製の礼器、春秋秦公大墓出土の金の啄木鳥、西漢皇后玉婆など。
八、歴代の貨幣。登録済みのもの10000点以上。種類が豊富。西周の幣、戦国の刀幣、秦の半両、西漢の金など。
これら八種類のほかに、字画、版本、織物、漆器、石器、印、封泥などもある。
大雁塔
市の南4キロにある。唐の三代目の高宗李治が皇太子のとき、生母文徳皇后の冥福を祈り648年に建てた慈恩寺の境内に立つ塔で、西安のシンボルである。当時の規模はかなり大きかったが、唐代末期に戦乱のため焼き払われ、現存するのは当時の十分の一に過ぎない。
652年にインドから帰った玄奘三蔵法師の願いにより、境内に大雁塔を建て経典を保存することにした。塔は煉瓦でできており、当初は五層の塔であったが、則天武后の時代に大改造を行い十層になった。しかし、戦乱などで上部が崩壊し、現在は七層で、高さは64メートルしかない。内部の木製のらせん階段を登ると、最上部まで行くことができる。
三蔵法師
『西遊記』は唐の玄奘三蔵法師が、孫悟空、猪八戒、沙悟浄を供に、さまざまの苦難にあいながら天竺(インド)へ行って仏典を持って帰る話です。
子供のころ誰にも親しまれた冒険物語です。
仏教には3,200もの経典があるといわれますが、その中でもっとも有名なお経が「般若心経」です。
色即是空 空即是色。ギャーテーギャーテー ハラソーギャーテー
一度くらいは聞かれた方もおられることでしょう。
この般若心経は、紀元1〜2世紀の頃インドで生まれました。
ですから、原典は古代インド語のサンスクリット、すなわち梵語です。
この梵語のお経を漢字に翻訳したのが、中国の僧 玄奘三蔵です。
玄奘三蔵(602〜664)、色白で美男子で秀才。
13才で出家し、629年の秋、26才で西安市(昔の長安)からインドへ無許可で出国します。生年と出国の時期については諸説があり、2〜3年程度の幅があります。仏教を学びましたがあきたらず、国禁を犯して28才でインド留学へと向かいます。
命がけの求法の旅、ゴビ砂漠、タクラマカン砂漠、パミール高原、カラコルム峠を越え、やっとの思いでインドの仏教大学ナーランダに到着。
長安出発のとき40人の同行者は、途中の猛獣山崩れ、急流などで死者続出し、2年後には玄奘ただ1人という苛酷な旅でした。
偉人といわれる人には色々な伝説が残っていますが、玄奘にもいくつかあります。
旅の始めの頃、ある寺にいた時インドから来た老僧がハンセン病で苦しんでいた。
玄奘の弟子たちは皆逃げだし、老僧1人で病床に伏せていた。
そこで玄奘は手厚く看病し、薬をすすめ食事一切の世話をする。
このインド僧は感謝して1巻の経典を授ける。
玄奘はこの経典を道中のお守りとした。
玄奘帰国後この経典を漢訳したのが現在の「般若心経」です。
時を経て、その経典が敦煌の石室から発見され、その序文に次のような伝説が記されていました。
インド僧に会ったのちに、玄奘が中インドのナーランダ寺に着いたら、なんとその病僧がそこにいるではないか。
驚く玄奘にその僧は、〜われ観世音菩薩なり〜、と告げて空に消え去った。

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by xiantabi | 2018-11-08 10:12 | 海外旅行 | Comments(0)

西安は中国の歴史上最も多くの王朝の都となった都城です。中国文明の発祥地として、「世界四大文明古都」(西安、ローマ、カイロ、アテネ)の一つと認められています。兵馬俑坑は世界遺産に登録され、「世界八大奇跡」と呼ばれます。唐代の著名な高僧玄奘三蔵が経典を翻訳したところ大雁塔、世界で現代まで最もよく保存され、最も大きな規模の古城壁があります。兵馬俑は中国最大の魅力の1つです。中国を訪れるすべての人にとって見ていただきたいものです。戦国時代に中国最強を誇り、2200年前の中国統一を導いた軍隊の精密な実物大の陶製の模型で当時の様子を詳しく伺えるからです。兵馬俑は、世界で最大の考古学的価値のある遺跡のひとつであり、20世紀の最大の発見の一つとも言われています。兵馬俑の発見 始皇帝陵から東へ1.5キロの地点に、世界八番目の不思議とも呼ばれる兵馬俑坑がある。1974年3月、かんばつに窮した地元農民が井戸を掘り始めたところ、二、三メートル掘ると変わった陶器の破片が見つかった。考古学者の鑑定により、ここに始皇帝の地下近衛軍団が配置されていることが初めてわかった。この偶然の発見によって、地下に二千年も眠っていた世界を驚愕させる兵馬俑がようやく日の目を見た。坑は発掘順序に基づき一合坑、二号坑、三号坑と名づけられた。 兵隊俑の平均身長は180センチ、上半身は空洞だが下半身は空洞ではありません。顔の表情はそれぞれ異なり、身分により服装もまちまちでだが、共通しているのは、いずれも手に武器を握っていることだ。一部の俑にはまだ色彩が残っています。馬の高さは1.5メートルで西域の大宛の馬に似て、足が速いと言われています。兵馬俑はこの場所の付近の粘土を材料にして、彫刻などの手法を施し、最後に窯に入れて焼いて作られました。殉死制度のあった時代に人間に代わって陶製の人形を殉死品とすることから、人類文明の進歩を窺うことができます。兵馬俑博物館内のおもな展示 博物館は1号坑、2号抗、3号抗、秦始皇帝銅車馬陳列館から構成されていて、当時の秦の製造技術の高さをそのままの形で見ることができます。兵馬俑の1号俑坑 - 2,000体の兵が並ぶ 兵馬俑1 1号俑坑は、長さ230メートル、幅62メートル、深さ5メートル、総面積14260平方メートル、兵馬俑の数は約六千体で規模が飛行機の格納庫ほどある最大で最も印象的なものです。1979年に観光客に開放されて、本来、兵士と馬の6,000体以上の陶製の像があると考えられていますが、2,000体ほどが展示されています。最も印象的な兵馬俑の写真はほぼ1号俑坑で撮影されています。 すべての兵士と馬は長方形に配置され東に面していて、それぞれ矛、戈、?、戟のいずれかを装備しています。主鋒の前方部隊は、歩兵で3列をなしています。その後方には、重装兵士の主力があり、38台の馬車が同行しています。南、北、西には防衛翼として隊が1列並んでいます。このような壮大な古代軍隊の前に立てば、前進する兵士たちの足音による大地の鼓動を感じることでしょう。すべての人物は、顔の特徴や表情、服装、髪型、身振りが異なり、その当時の軍事、文化、経済史の研究に対して豊かで詳しい資料を与えてくれます。兵馬俑の2号俑坑- 古代の軍隊の謎の解明 1976年に発掘された2号俑坑は、1号俑坑の約20m北に位置しています。全陵墓のハイライトであり、古代の軍隊の謎を明らかにするものです。2号俑坑は、東西に94メートル、南北に84メートル、深さ5メートルで4つの部隊で構成されており、6000平方メートルからなります。 最初の部隊には、ひざをついている騎兵と立っている射手の列があります。 2番目の部隊は戦車の戦列です。第3の部隊は、歩兵、戦車、および兵士との混成から成っています。長方形の列に立って並んでおり、最後尾には重装歩兵が含まれています。 4番目の部隊は、厳密に戦闘配列を形づくっています。兵馬俑の3号俑坑?司令部 3号俑坑は最小です。わずか68体からなり、その多くには頭がありません。すべての人物はが将校であるため、3号俑坑が司令部であることは明らかです。兵馬俑銅車馬の展示兵馬俑銅車馬 会場に展示されている2台の銅車馬は、1980年12月に陵墓の西から20メートル離れた場所で発見され、展示にあたって精巧に修復されました。 銅車馬は、それぞれ約3,400の部品からなり、4頭の馬によって運転されました。2番目のものは長さ3.17メートル、高さ1.06メートルです。青銅の馬は、高さ65cmから67cm、長さ120cmです。それぞれの重さは合計1,234kgになります。 銅馬車はおもに銅製ですが、金と銀の装飾品が1,720個ありその合計は7kgになります。銅馬車は、精巧に作られていて、鮮やかあり、中国で有名な銅製の遺物の中で最高の保存とランクを誇っています。これらの2つの馬車は、世界で発見された古代の銅の像の中で最大のものです。兵馬俑の詳細? カテゴリー、特徴、武器3つのおもなカテゴリー 3つの俑坑での発掘の過程で、約8,000人の実物大の戦陣の形成が明らかになりました。全軍隊は帝をあの世でも守っていることでしょう。 発掘された兵馬俑は、歩兵、騎兵、および戦車の3つの主要カテゴリに分類されます。歩兵は、高位、中位、および低位の将校、軽装甲、重装甲の兵士、立射手と屈射手を含むサブカテゴリにさらに分けることができます。戦車は、さらに、運転手と戦士の2つのサブカテゴリに分けることができます特徴:顔の形、髪型、服装 兵馬俑のすべての人物は、顔や表情、服装、髪型がその階級に応じて異なります。 兵馬俑1顔の形 兵馬俑の顔は大まかに8種類に分類され、それぞれの形は目、国、用、甲、田、由、申、?という中国の漢字であらわされています。例えば、「目」形の顔は比較的狭くて長く見え、小さな特徴を持っています。髪型 古代の髪型は人々のライフスタイルの一部だけではなく、社会的地位の反映でもありました。兵馬俑の兵士の髪型は、軍隊での地位や腕前によって異なります。 兵馬俑の髪型は大きく分けて2つのタイプがあります。1つのタイプは、頭の右側に髷をしているものです。もう1つのタイプは、髪を寝かせて、頭頂で髷を作り、それを頭巾で覆っているものです。 彼らの髪の毛を束ねるために、バンド、リボン、ピンが使われました。服装 兵馬俑の服装は、軍隊での地位や腕前によって異なります。その特徴をいくつか挙げてみましょう。 将軍は、胸、背中、肩を保護する具足の下に2つの上着を重ねて着ています。また、軽量で正面が上向きに曲がった正方形のつま先の靴を履いています。1号俑坑では1人しか見つからず、2号俑坑では、2人しか見つかりませんでした。 装甲兵は、タートルネックで首を覆い、胸や背中、肩が保護された具足を着ています。 騎兵は、薬箱状の帽子、首のスカーフ、軽い具足を着ています。彼らの靴は、足を傷つけないように、つま先が柔らかく丸いものです。 戦車の運転手は、手綱を操るために必要な手や腕を保護する防具をしています。彼らは首の後ろを保護するヘルメットを着けています。武器 多くの兵馬俑は本来、銅の剣、弩、弓、槍、短剣や手斧、その他の長尺の武器などといった当時の本物の武器を持っていました。これらの武器は耐錆性と腐食性に優れているため、2000年以上も埋没していてもまだ鋭いです。 私たちは、西安での一般的な業務以外に、兵馬俑をはじめとする神秘的な観光スポットをいくつか提供しています。旅の日程にこれらのアクティビティを追加する場合は、お問い合わせください。彩色兵馬俑 兵馬俑とは、陶などを素材とする将軍や兵士、軍馬などの人形です。その兵馬俑多数を収めた巨大な地下室が兵馬俑坑で、普通は中国陝西省にある秦始皇帝(前259〜210)の墓所に伴うものを指します。1974年に発見され、世界的ニュースになりました。五つの兵馬俑坑には約8000体もの兵馬俑があるといわれていま交通案内:西安市内から車で1時間西安駅の東広場から5番914番、遊5専用線(306番)にのり、兵馬俑につきます。西安北駅から兵?俑の間に無料バスが運営していますので、当日の列車チケットか、観光スポットの入場チケットを提示すれば、無料で乗ります。http://www.xiantabi.com
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by xiantabi | 2018-11-07 13:56 | 海外旅行 | Comments(0)

 陝西省は中国西部地方の中でも雲南省やチベットと比べても簡単かつ安全な所です。省都である西安は過去4つの王朝時代で中心地になったところです。そしてまたシルクロードの東の端でもあります。今日では兵馬俑で有名です。
 中国の他の主要都市から飛行機入り、他の地へ向かう経由地として西安は最もおススメです。もし飛行機に乗らずに列車の場合でも北京から(最低6時間)500元くらいで行くことができ、その本数もたくさんあります。列車に揺られる道すがら途中にある山西省の平遥古城といった魅力ある観光地にも立ち寄ることもできます。
西安旅行スポット
西安は中国の歴史上最も多くの王朝の都となった都城です。中国文明の発祥地として、「世界四大文明古都」(西安、ローマ、カイロ、アテネ)の一つと認められています。兵馬俑坑は世界遺産に登録され、「世界八大奇跡」と呼ばれます。唐代の著名な高僧玄奘三蔵が経典を翻訳したところ大雁塔、世界で現代まで最もよく保存され、最も大きな規模の古城壁があります。
西安の交通情報
西安は中国西部の有数の大都市として交通は発達しています。中国大陸の中心に位置し、中原.華北と華東と繋がる要所です。西安は中国西北の沿線地域で経済の最も発達している西部の中心都市として、東西を貫き、南北を結ぶ重要な地位を保っています。そのほか西安は陝西省の「米」型の鉄道網の交通の要で、中国の国道網の中枢、中国の八つのハブ空港の一つでもあります

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by xiantabi | 2018-10-27 09:39 | 海外旅行 | Comments(0)

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